石浦神社~金沢城公園~尾山神社 秋の北陸金沢グルメ旅行1日目

kim eider     

2022年11月20日 00:01


石浦神社
古墳(五四七)時代に草創され、
金沢最古の宮として、
三輪神社を号し、
奈良時代には神仏習合となり
石浦山慈光院長谷寺と改め、
江戸時代には石浦山王、
石浦大権現、
明治の神仏分離令により
石浦郷の地名をとり石浦神社と改称した。


石浦神社」は縁結びなどの御利益があり、
「何ごとも丸くきまる」といわれていることから
恋を願う女子を中心に
ご縁を願う人が多く訪れています。
2019年に登場した101基の鳥居は、
新たなパワースポットとして話題になっています。


金沢城公園
石川門口


三の丸広場
三ノ丸は石川門、河北門の内部の郭を指し、
利家が入城した後、
重臣の居邸が建てられたが、
その後、これらを城外へ移し、
高知番所、 物頭番所が置かれた。


重要文化財に指定されている現在の石川門は、
天明8年(1788)に再建されました。
金沢城の搦手(裏口)門で、高麗門の一の門、
櫓門の二の門、続櫓と
2層2階建ての石川櫓で構成された枡形門です。
ライトアップに浮かぶ姿も楽しめます。


丑寅櫓跡
東ノ丸の隅櫓があった所で、
本丸から北東(丑寅)の方角にあるので
「丑寅櫓」と名付けられました。
物見や本丸の防御を狙っていましたが、
宝暦の大火(1759)の際に焼失しました。
兼六園や戸室山、医王山などが眺望できる
展望台となっています。


三十間長屋
本丸附段にある2層2階の多聞櫓で、
石川門と同様に
重要文化財に指定されています。
安政5年(1858)の築で、
現在の長さは26間半です。
南面は入母屋造りですが、
北面は土台の石組よりも外壁がさがっており、
切妻造りです。


五十間長屋
菱櫓に続く「五十間長屋」は、
一般的には「多聞櫓」と呼ばれるもので、
武器や什器等の倉庫です。
2階へ上がると、太い松の梁等、
木組をそのまま見ることができます。
ここにも2箇所の石落があります。
多聞櫓とは石垣や土塁の上に建てられる
長屋造の櫓のこと。
その名前の由来は、永禄3年(1580)、
大和国を平定した
松永久秀が多聞山城を築いた事が始まりで、
その櫓の内に
多聞天(四天王の1つで北の守神)を
っていたことによると云われています。


鼠多門・鼠多門橋
金沢城の西側、
黒い海鼠漆喰が特徴の「鼠多門」が、
明治期の焼失以来136年ぶりに
往時の姿で復元されました。
あわせて、
鼠多門と金谷出丸を結んでいた「鼠多門橋」が、
往時と同じ位置に143年ぶりに再現されました。


尾山神社
神門 <国指定重要文化財>
明治8年の建築で、
和漢洋の三様式を混用した
異色の門として全国に知られ、
兼六園と共に金沢市のシンボルにともなっています。
第一層には戸室石(角閃安山岩)を用いてあり、
第三層は四面五彩のギヤマン張りで、
もとは御神灯が点灯され、
その放つ光は金沢の街を照らし、
遠く日本海を航行する船の目標たらしめたものです。
第三層目に設置された避雷針は、日本最古のものです。


尾山神社
拝殿
入母屋造屋根瓦葺
中央天井は格天井作りで
各間毎に岩絵具による
極彩色のうどんげの花が美しく描かれています。
これは旧金谷御殿から移築したものです。
欄間は約八寸厚の欅の
一枚板に見事な梅花紋を透彫にし、
極彩色の華麗な彫刻で、
これもまた旧金谷御殿から移築したものです。


前田利家公像
織田信長公に仕え青年時代は
赤母衣衆として従軍しました。
槍の名手だったため、
「槍の又左」の異名をもって敵軍に怖れられました。



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